自分と家族と子ども達の幸せを考える先生のブログ

教育の個別最適化、アドラー心理学、部活動の社会体育化、教師の働き方改革、仕事と育児、お金の教育、人生100年・society5.0時代の進路指導を切り口に、自分の幸せと子ども達の幸せを考える

生徒に発表させる時、挙手制にするか指名制にするか。自らの家族を犠牲にして働くのが美徳という文化。

最近、『学び合い』の時間以外の一斉指導の時の指名の仕方について考えることがあって試してみていることがあります。

これまで挙手をした生徒を当てる方法でしたが、最近基本的にはこちらから指名し、後半につなげるときや他の意見も拾う時に挙手を求める方法にしています。

もともと挙手制に何か考えを持ってやっていたわけではないのですが、単純に私が受けてきた授業や、教師になってみてきた授業の多くが挙手制だったから自分もそうしていました。

ただ、挙手制では

・一部の生徒に発言が偏りがち

・自信のある生徒が挙手をしてない生徒は挙手しないので、最初から正解の意見だけが出てきて多様な意見が出されにくい

・挙手しなければ当たらないので、緊張感がなくなりがち

・生徒会などの取り組みで「挙手をしよう」というような「学習への意欲=挙手」という変なイメージがつきがち

という幾つかのデメリットがあると思っています。

 

指名制は上記のようなデメリットの解消になると思います。指名制のデメリットも続けていたらわかってくるかと思うので、そこは実験中です。どなたか知ってる人がいたら教えてください。

指名制の方がまだ『学び合い』の考えにも合ってていい気がするという理由もあります。そもそも個人に全体に向けて発表させることを『学び合い』の形式的な授業では重要視していません。あまり重要でないと考えていることなのであればできれば時間をかけずにやりたいです。挙手させるとか、挙手する生徒を待つといった時間の無駄を指名制の方が省けている気がします。

 

機械的に指名したり、活動中自信のなさそうな人、怪しそうな人を指名したりして、意見が出なかったときはその人というよりは「協力して全員できるようにしなかった全員に指導する。」これが一斉指導に『学び合い』の考え方を取り入れたときの形としても合ってると思います。しばらくこれを地道に続けてみます。

 

 


最近ドラマの「ミステリと言う勿れ」を見たり、小説の「れんげ荘」を読んだりする中で、「自らの家族を犠牲にして他者に貢献する(働く)ことが美徳」とする文化の弊害が紹介されていて、「そうそう!」と勝手に納得しています。

私も他者貢献や仕事に意義があると思ってますが、土台にあるもの・優先されるのは「個人や家族の幸せ」であると思ってます。これがなされて初めて人は本当の意味で他者への貢献ができると考えています。嫌われる勇気なんかでもそういう話が出てきます。

 

作品の中でもそういう考え方が紹介されていて嬉しくなりました。