本日は管理職との中間面談がありました。
良かったのは「テストをつくるタイミング」の話をしたら学校としての取り組みを検討することに前向きになっていただけたことです。
『学び合い』を学んでから目標と指導と評価の一体化を考えているのですが、私が勤めてきた中学校のようにテスト作成者が入れ替わる方式だと、ギリギリにテストができたのでは一体化がしにくいです。授業者とテスト作成者を統一させるか、統一できない場合指導前にはテストを作成して共有しておきたいことを話しました。これが納得いただけ、もしかしたら前向きに話が進むかもしれません。
気をつけなければと思ったことは「学校研究と、自分の研修によるやりたい授業とのすり合わせ」です。折り合いをつけて強かに実践する必要性を再確認しました。
ただ、子供のためになるやりたい授業をするために強かにはなりますが、心の在り方としては「管理職の評価」よりも「子供たちの生涯の幸せに貢献していると自分が納得できる授業をできているか」を気にするつもりです。
管理職との会話の中で気になって考え込みすぎてしまうワードもいくつか出てきました。
ここは全然整理できてないので備忘録として羅列していきます。
「主体的」
・「主体的にさせる」という表現への違和感
・「主体的になる機会を設定する」まではできても、そこから主体的になるかどうかは本人次第ではないか。そこのコントロールはできないはず。それをできると思っているという勘違い。
・主体的の中に「けテぶれ」の考え方であるような「サボる」「手を抜く」という選択肢が用意されていないことが気になる
「考える深める場面があるか」
・自由進度学習や『学び合い』では瞬間瞬間ではそうしている子もしてない子もいる。でもそれが当たり前。
・逆に、一斉指導で数名を指名したり意見を取り上げたり切り返し発問をしたりすれば、一人ひとりが考えを深めていると思っているという勘違いの方が気になる。そんなわけないのに。
「深い学び」
皆の言う「深い学び」とは何か。結局それをした上で「何ができるようになっていなければいけないか」さえ明確にすれば、そこへの過程まで教師がコントロールしようとするのは無理がないか。いや、無理なのだ。
こんなことを考えてしまって今日は夕方からちょっと堂々巡りで頭が疲れました。
こうやって書いたら少し整理されてスッキリしました。
やはり、アウトプットするのは自分にとっていいですね。