週末に図書室にあった「わかりあえないことから」という本を読みました。
https://www.amazon.co.jp/gp/aw/d/B00APR9FJU/ref=tmm_kin_title_0?ie=UTF8&qid=&sr=
その中で、日本の国語の教育とフィンランドの国語にあたる教科の教育との比較の話が出ていました。
ちょっと理解しきれてない感じのまま書いているので記憶違いなところもあるかもしれませんが、『学び合い』と似てるなと感じたことがあるので紹介です。
日本は登場人物がどんな風に思ったかなどを正確に読み取るインプットの方を重きを置いて、その考えを表現することについては作文とかスピーチとか作らせはしますが、実際に他者に表現する機会がないこともありアウトプットは軽めなことが多い。
フィンランドの国語?ことば?表現の授業では、どう読み取ったかはそれぞれでいいんですが、それを他者に伝える、表現する、つまりアウトプットすることをちゃんと求められていて、機会も多いそうです。
『学び合い』の授業、考え方に似ているなと思ったのはそこです。
多くの授業では学び方(インプット)を教師が決めています。しかし、それが身についたかを確認すること(アウトプット)に重きをあまり置いていません。せいぜい挙手した生徒数名に意見、答え、まとめを発表させるくらいです。全員という視点で見たら驚くほどアウトプットしないままでも過ぎていってしまいます。
『学び合い』では学び方(インプット)は子供たちが選びます。しかし、それが身についたかを確認すること(アウトプット)、結果には重きを置きます。そのチェックは生徒たち自身が行います。教師はそのことを求めます。
なんとなく似ていると思いました。
この本ではタイトルにもあるとおり、コミュニケーションというのは「みんな分かり合えるはず」という前提ではなく、「わかりあえないことから」を前提にして、だからこそお互い快適に暮らしていけるように付き合っていくものというような立ち位置です。
そこも、『学び合い』に似ていると思いました。
多様な人と折り合いをつけながら課題を達成する。そして多様な多くの仲間を得る。
この本のコミュニケーションの考え方と近いです。
お互いに「わかりあえないことから」という考え方は少しネガティブに聞こえますが、良い意味で諦めた上で前を向いて進もうとする素敵な姿勢だなと感じました。