丹後先生の生き様公開と仲間づくりのためのブログ

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読書記録:「家事か地獄か」

 

「家事か地獄か」

という本を読みました。


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嫁様が借りてきた本で面白そうだったのでまた勝手に横取りして読ませてもらいました。

 

結構ハード目のミニマリストな方のラク家事をすすめる本です。

家事の本にもいくつか種類があると思いますが、いわゆる多くの方がイメージする楽しげな手の込んだ料理や凄い収納や掃除法の本とはまた毛色が違います。

 

ハードなミニマリストなのでそもそもの物が少なく、家事も掃除、洗濯、調理が1日40分で終わります。

手もこんでなく華やかさもありません。

故に合う人合わない人がいると思います。

 

しかし、そのハードなミニマリストラク家事の背景には、

認知症だった母との体験から

老後の生活やこの先の生き方・死に方までを真剣に考えた哲学書的な側面があります。

 

都会の一人暮らしだから実現している生活という部分もありますし、共に暮らす人数や環境によってはミニマリスト的な実際の生活までは真似られないでしょう。

 

しかし、哲学的なところは真似られる部分が多いのでないかと思います。

私にとってこれは哲学書です。

 

以下に私が面白かったところを紹介します。

 

 

- はじめに

    - 大企業をやめてお金に困って初めて家事をしっかりやればお金をかけなくても幸せになれる可能性に気づく。

    - 本書の構成は、ラクに家事をする方法、老後のラク家事、実際に著者の生活に近づく方法

 

- 1章 私が手にした極ラク家事生活

    - 家電を殆ど使わない。洗濯機なし、掃除機なし、冷蔵庫なし。掃除洗濯調理がそれぞれ10分ほど。日に2食。

    - 40分で足るを知る幸せな生活ができる。この安心感。

    - ラクになると家事ラブに。

    - 家電を手放すことで家事がラクに。

    - 家が狭くなり収納がなくなりモノが減ったら家事がラクに。

    - 便利と豊かさが家事地獄への道。欲望も敵。

    - ポイントは複雑化ではなく簡素化。一汁一菜、ふきん1枚

 

- 2章 あなたの家事がラクにならない本当の理由

    - 家事が楽にならないのは努力の方向性が間違っているから。

    - 家事をやめるための三原則

        - ①便利をやめる

            - 洗濯機をやめたらまとめ洗がなくなり物が減った。

            - 電子レンジも冷蔵庫もやめたら作り置きができないからシンプルなものしか作らなくなった。

            - 本当の自分は案外ちょっとのことで満足できるのに、便利なものでできることが増えると大掛かりなことをしないと満足でない錯覚に陥る。

        - ②人生の可能性を広げない

            - 一汁一菜、メシと味噌汁。炊事がほぼ消える。「何食べよう」を考える時間がなくなって余裕ができる。

            - ごちそうを諦める

            - 可能性を捨てることは、今ここにあるものの素晴らしさに気づくこと。

        - ③家事の分担をやめる

            - お母さんが家事も炊事も全て背負うことはない。

            - 自分のことは自分でやる。

            - 現実は分担ではなくお母さんが多くを引き受けて他の人は丸投げ。

            - 家事を他人任せにするのは老後の生活のリスク。先立たれたら目も当てられない。人生100年時代ならなおさら。

            - 家事をしないと生活費がいくら掛かるのか。生活費を含めたお金の使い方がわからない。お小遣いの使い方しかわからない。お金の教育的にもよくない。

            - 学力は幸せを保証してくれない。学力よりも家事力では?

            - 家事は最も確実な自己投資。

            - 食事を買って済ませる人に対して。食べるという人生の首根っこを「なにかに頼らないとお手上げ」状態にするのはリスク。

            - 自炊とはフツーのものをフツーに作ること。特別美味しくなくても食えればいい。

            - ご飯を炊いて味噌汁を作ればいい。

 

- 3章 家事こそは最大の投資である理由

    - 家事をやめるための三原則の先の夢の世界

        - 圧倒的なローコスト

            - 「買う」ことは管理コストが増えるため「家事の負担増加」という「地獄への切符」になる

            - お金が自然と貯まる

        - 災害に強くなる

            - ライフラインに頼る部分が減る

        - エコになる

            - 燃えるゴミが2〜3ヶ月に一度出すくらいしかない。

            - 生ゴミ堆肥づくりで生ゴミがなくなる。これは凄い。やってみたい。

 

- 4章 老後と家事の深い関係

    - 年老い、記憶力が低下したり体力筋力が落ちたりすると、複雑な家事は途方もない難事業になる。

    - 家事を簡素化し、やるべきことをやれているという感覚を持ち、最後まで明るく元気に生きるためにも家事をラクにすることは重要。

 

- 5章 老後を救う「ラク家事」

    - 人生100年時代は「若さの延長」ではなく「老いの延長」

    -「 昨日できたことが今日できなくなる、自分が自分でなくなっていく、自分が誰からも必要とされなくなっていく。」という老いの本質的な悲しみはお金でも解決できない。

    - 「ナン・スタディ」という研究より。年齢を重ねれば身体のそこかしこに不具合が出てくるのは当然のこと。脳も同じ。でも集団の中で自分のできることはしっかりと行いながら環境の変化の少ない暮らしを何十年も続けていれば、例え認知症になっても生活に支障をきたすことは少ないのではないか。

    - 豊かになり拡大していくことでシンプルさが失われていく

    - 都会のマンションぐらしは家の中にはすべて揃っているけど、一歩外に出れば近所に頼れる人もいない。

    - 変化の激しい時代になり、経験がものをいう時代ではなくなって長く生きているだけでは一目置かれなくなった。老人は置いてけぼりになり孤立していく。

    - だからこそ、「自分にできること」を持っていられることが大事。そして「集団の中で生きる」ことも。

    - 長生きするにつれ平均寿命と健康寿命の差が拡大している。男性は9年、女性は12年を不健康な状態で暮らさねばならない。「長く不自由な老後」をどう生き抜くのか。

    - 便利になって体も頭も使わなくなると衰えるのも早くなる。目指すは「変化の少ない暮らし」「修道女のような暮らし」。ラク家事生活=修道女のような生活。

    - これで十分と分かればあれもこれもと焦っていた心がゆったりとして周りに目を向ける余裕が出てきた。そして小さなご近所付き合いを続けるうちに集団の中で生きるように。

    - 家事こそが余計な「欲」「変化」「進化」から我が身を守ってくれる。ラク家事生活を維持しようと思ったら生活を複雑化するのはご法度だから。

    - 自分を使い果たして死んていく。

    - 風呂は銭湯を利用、揚げ物は家ではせずに買う、町中華豆腐屋

    - 自分のことは自分でやる。でもやっぱり人は一人で生きていくことはできない。人の力を借りるにも、良い借り方をすればいい。感謝とできる範囲でのお返し。持ちつ持たれつ助け合って生きる。

 

- 6章 モノの整理が天王山

    - ラク家事になるためには「モノの処分」が9割

    - 失敗談。効率化、収納を増やす(家賃は高いし余計に増える)

    - ないものは散らからない。モノを片付けると頭の中、心の中が片付く。

    - これでいいのだ。これで十分。もう何もいらない。

    - こんまり本はラク家事のすすめ

    - こんまりの「ときめく?」は自分の理想の暮らしの具体的で強いイメージがあってこそ。

 

- 7章 実録・人はどこまでモノを減らせるか その1 怒涛のイメージづくり

    - 人生のイメージから。明るく楽しく下っていく人生。

    - 韓国ドラマの追いやられた王妃、江戸時代の長屋がイメージのもとに。

    - ものを処分し小さな暮らしをするとは、自分を鍛え、進化させること。

    - これから老いていくからこそ、金やモノに頼らず自分の内なる力(知力体力)に頼って生きていくイメージがついた。

    - 自分の使ってない錆びついている五感が復活してくるのは楽しそう。

 

- 8章 実録・人はどこまでモノを減らせるか その2 怒涛の実践編

    -ここは人によって実践できるかは大きく異なる。考え方や、突き詰めればどこまでできるのかを知れればいい。

    -トイレが汚い場所じゃなくなった日。これは素敵。

    - 持ってる服の数とオシャレかどうかは関係ない。体は一つ。とびきり自分に合う服が少しあればいい。

    - 「買い物」こそが最大の無駄な家事。ここではないどこかを探し続ける不毛。可能性を追いかけ続けることには終わりがない。そこから抜け出さねば。

    - 台所の断捨離は生活に与える影響が大きすぎて難しく、語られることも少ない。

    - ご飯と味噌汁とおひたしや煮物など簡単地味な惣菜を作れるもの以外は処分

    - ごちそうが食べたければ外に食べに行けばいい。

    - ハレとケ。日常はケでいい。ケこそがハレを生む。毎日ハレだとハレではなくなる。

    - だんだんハレの食事よりもケの食事(玄米)の方がウキウキしてくる。

    - いつものメシ、汁、漬物が最高のごちそうになる。永遠の美味しい生活を手に入れたことに。

    - 掘れば掘るほど、どんなものの中にも美味しさがあるということが分かってくる。美味しいは「今ここ」にある。

    - モノじゃなく自分の中にある可能性(幸せになれる力)に気づく。

    - 永遠の安心が手に入った。

    - 死を準備しているからだにはそれにふさわしい栄養と水分があれば十分。過度に点滴などで栄養を与えると苦痛を与えることになる。自然に最後を迎えるって楽に行ける。自然に老いて食べられなくなったときは食べなくていい

 

- 9章 死ぬまで家事

    - 老いて「ただ生きているだけ」の状態になるのは心がしんどい。意味を感じられなくなる。

    - 家事は生きている限り付きまとう。それが自分でできることであり、楽しいと思えることになれば楽しみが生きている限り尽きないことになる。

    - ラク家事からの最大の学びは「自分で自分の面倒を見ることができる」ということこそが最高だということ。

    - ものを買い込み続ける人生は忙しくて終わりがない。

    - お金も特別な能力もなくても少しの決意があればそれだけで十分な幸せを私は私の力でちゃんと手に入れることができる。その事実がとてつもなく大きな安心感と幸福。私は無力ではなく、自分の力で自分の幸せを作り出すことができる。自分のことは自分でできる。人生はちゃんと手に負える。

    - 老いに合わせて暮らしを小さくしていき、死んでいく

 

- おわりに

    - 著者が総理大臣になったら、家庭科教育の充実・普及をしたい。(同意。お金と同じくらい大切。理科より全然大切。)

    - お金がなくとも家事ができれば誰もがすぐ幸せになれる。

    - その発想にならないのは偉い人たちは家事をやっていないから?

    - 偉い人もみんなも家事をやろう。すぐに誰でもできる。