今回は「学校がウソくさい」を読みました。
学校がウソくさい 新時代の教育改造ルール
https://www.amazon.co.jp/学校がウソくさい-新時代の教育改造ルール-朝日新書-藤原-和博-ebook/dp/B0C7G9G57X/ref=mp_s_a_1_3?crid=3C2GW8BWMBNLI&keywords=学校がうそくさい&qid=1696077375&s=books&sprefix=学校がウソくさい%2Caps%2C242&sr=1-3
選書の理由
西野亮廣さんの本で学校教育界でおもしいことしてる人はこの人と名前が出てきたのが本書の著者の藤原和博さんでした。
リクルートで働いていたところから義務教育初の民間校長をされたと言う経歴のある方です。
現在の学校教育にいろいろ無理があることを感じて発信している身としてはタイトルにも興味があり読むことにしました。
内容・構成紹介
本書は二部構成で、
一部では学校のウソくさいところ
二部ではそんなウソくさい学校を変えていかための処方箋が紹介されています。
普通の教師でもできる授業のこと、校長ができること、県知事や教育長や教育委員会ができることと分けて書かれています。
私は一部の「そうそう!ウソくさい!無理があるんだよ!」となったところと、二部の自分にも実践可能な授業のところが面白かったです。
特に
・一部2章で一斉授業が機能しなくなっているという指摘
・二部4章で何でもかんでも学校に求めるから無理が祟ってウソくさくなるという考えから、学校と先生の再定義をし、事務仕事の断捨離を提案
・二部5章で機能しなくなってきている一斉指導の代わりにオンラインの動画を大幅に取り入れた授業を提案
この辺りが面白く、「やりたいな〜」となりました。
おすすめの人
・今の学校教育に違和感や疑問、つまらなさ、ウソくささを感じている教師、児童生徒、保護者
・ウソくさい学校教育を変えられる立場にある人。教師、校長、教育委員会、教育長、県知事、保護者や地域住民
ぜひ、興味のある方に読んでいただいて、学校教育のウソくさい部分を変えて教育をもっとおもしろくしていける仲間が増えてくれたら嬉しいです。
少数では心細いしできることが少ないので、みんなでやりたいことです。
読書メモ
以下は私の読書メモです。
長めなので興味のある方や読んでみようと迷っている方の参考になれば幸いです。
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はじめに
- 子どもはウソをつかない
- 学校のウソくささがウソをつかない子どもに現れている。不登校者数の多さ。
- 吹きこぼれの子どもたち。
- 教員はスーパーマンではない
- 2割にすぎない学校の存在感
- いじめや不登校は本来、社会問題である。家庭やコミュニティや日本社会全体の歪みが一番噴き出しやすい学校で噴出したからといって、すべて教員のせいだと学校に責任を押し付けるのはどうか。
- 学校の存在感を問う質問。「あなたにとって小中学校から高校までに先生から直接習ったことは、全人生で学んだことを100とした場合、何%くらいでしたか?」
- 学校の存在感は、全教育機関やサービス部門のおよそ2割に過ぎない。(ソフト面で考えてもハード面で考えても) だとすれば、全学習活動に対する学校の影響力は3分の1以下だと認め、逆に、もっと自由な教育を先生たちに許してもいい時期に来ている。
- 学校での授業は全生活時間の13%程度になる。
- 学校が、学力や礼儀、生活態度や人格も、人生を切り拓くすべてを教える場だと考えるのは大いなる誤解。公立・私立にかかわらず、息子、娘を入れておけば、工場のように理想的な日本人が産出されてくるとは決して思わない方がいい。
- 悪いことがあると何でも「学校のせいだ、先生が悪い」というのはマスコミや評論家の口癖だが、これはミスリードであって真実ではない。まったくのウソである。
- 本業回帰で蘇れ
- 学校もそろそろ、学校という児童生徒が集まる装置で、「教員という人間ができること」に集中したらいい。 できないことまでさせるから、ウソくさくなってしまう。
- 子どもはウソをつかない
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1部
- 1章 校則のウソ
- 国家の要請によって、日本人として必要な知識と技能を備えるために、強制して学ばせる場所が「学校」。
- 校則や暗黙のルールについては、変更せず現状維持の方が手間がかからないし、コストも安い。
- 昔の学校は権威を持たせてもらい、設備も新しく輝く存在だった。それがいつしか代わり、学校や教員に対するリスペクトはもうない。
- 校則も暗黙のルールも変更したりなくしていく必要がある。誤魔化せなくなってきているから。
- ウソくさい校則は一切捨て、必要のない指導をやめる。
- 2章 学校のウソ
- 学校には私企業のようなレッドカードがないから、教員が無理をして一所懸命にやろうとすればするほど無理筋な延命が続いてしまう。その間ますます「正解主義」、「前例主義」、「事勿れ主義」が強化されてしまう。
- ギガ端末が配られた今もなお一方向の一斉指導が主流。
- 学校とはなにか、教員とは何かが再定義され、知識を教えるだけの一方向性が否定されない限り、この流れは変えられない。
- 気づいていないのにやめられないのが知識を一方的に伝達するタイプの一斉授業
- 教員の指導力の低下
- 年齢構成で50代がどんどんいなくなるため。
- 採用倍率の低下で質が落ちるため。
- 解決策は教員の魅力を高めて再び人気職にするか、少ない人数でも回る仕組みを作り採用人数を減らす
- いじめ・不登校・担任ガチャはないと言い張るよりもあると認めて対応していくほうが誠実。
- 教員ガチャの運不運を減らすためにも動画教材を軽視する時代錯誤をやめる。
- 教室での授業に大幅にオンライン動画を利用する。今の授業のうち半分くらいを動画で学ばせるくらいで良い。
- 先生の失敗を社会がもっと認めないと、成長しなくなってしまう。それは児童生徒の成長まで阻害してしまう。
- 学校と親の二項対立になってしまわないように、学校の運営に学校と保護者と、もう一つ地域社会を入れる。
- 学校には私企業のようなレッドカードがないから、教員が無理をして一所懸命にやろうとすればするほど無理筋な延命が続いてしまう。その間ますます「正解主義」、「前例主義」、「事勿れ主義」が強化されてしまう。
- 3章 校長のウソ
- 校長には攻めのタイプ(1割)と守りのタイプ(9割)がいる
- 校長には教育課程の編成権があり、学校の運営に関することであれば違法なことでない限りほぼ自由に決められる。
- 1章 校則のウソ
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第二部 「学校」を変えよう
- 4章 学校と先生の役割を限定しよう
- 学校の定義
- 学校とは、自律して学び続けられるように集団の力で良い学習習慣と生活習慣をつける装置
- 先生の定義
- できないことをできるように、わからないことをわかるようにする仕事をしている人
- 事務仕事の断捨離
- 本質的な仕事に時間をさくために、別の事務仕事を徹底的に減らす必要がある
- 板書、宿題、テストの採点、連絡
- 教師の兼業のすすめ
- 学校の定義
- 5章 授業の形をバージョンアップしよう
- 「最高のオンライン先生」を味方につけて授業を進める。
- 15分程度の動画を見たあとに、①そのまま自分で突き進んだり人に教えたりする人、②①の人に教えてもらいながらやる人、③先生が手厚くサポートする人、に別れる(ここはエキスパート・ノービスの研究からも③はまずいので工夫が必要だけど、動画の利用もこの柔軟性は取り入れたい。)
- 学校は生徒が分かるまで責任を負う場ではなくわかったつもりにさせるところ。本当に分かるためには説明や作問できなければならない。
- 6章 授業内容を3つの力で見直そう
- 情報処理力から情報編集力が重視。
- ジグソーパズルとレゴブロックに例えられる。
- 割合は小学校から高校までで割合を変えながら、全体的に処理力7:編集力3が良さそう。実社会に求められる力にも当てはまる。
- 実社会でも情報処理力(学力)は必要。というか前提としてほしいけどそれだけでは足りないという必要条件となる。
- 正解主義の弊害は選択肢(仮説)が他者から与えられることと、仮説の中に正解が必ずあると思い込まされること。
- 仮説を自分で生み、試行錯誤しながら問題を解決まで持っていけるタフな人材が求められている。
- 7章 学校教育が生き残るための新時代の評価ルール
- 8章 「書類ゼロ」から始める改革実現
- 県知事、教育長、教育委員会向けに書類を減らす業務改善を提案
- 4章 学校と先生の役割を限定しよう
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おわりに
- 教育改革こそが、旧態依然とした日本社会の改革のヘソだと私は考えている。
- そうした改革を為政者が本気でやろうとする場合、推進のコツは、女性教員の活躍を保障し、比率を徹底的に高めること。
- 教師は他の職種より、共働きで子育てしやすいのかも。
- 生き生きと子育てする教員の姿を見せられれば子どもたちも未来に希望を抱き、少子化対策にもなる。
- 子どもは大人の生き様を見ている
- 先生には人生を通じて学び続けてほしい。
- 大人の学ぶ姿こそが子どもにとって最高の教材
#学校がウソくさい