保護者の方と話していて感じたことです。
昔に比べてゆとりがないことの弊害を教えてくれました。
①子どもたちが授業で分からないことがあった時に誰かに聞く時間や相手がいない。先生に聞いてほしいとこちらは思いますが、そうは言っても実際学校の日課の中にはほとんどそんな時間はない。休み時間は移動とトイレ。昼休みが唯一長めですが、それでも案外用事が入ってしまったり、そもそもここは教員は休憩時間になるのでここをあてにするのは良くない。放課後はすぐに部活動。小学校だって放課後になったらすぐ帰される。
そんな中で「聞く暇がない」というのは問題だと感じました。
授業だけでは分からない子は、1人での学習が難しい子は、一体いつ人に頼れば良いのか。塾に通う選択肢がないのか。みんながみんなそんなお金があるわけではない。どうしたらいいんだろう。
②先生の働く姿が目指したいと思えない。保護者の方で我が子が性格的に教員が向いてそうだから「どう?」って聞いてみた方がいました。「向いてるかもしれないけど大変そうだからちょっとな…」という返事だったそうです。親の次に身近な働く大人である我々がこんなモデルを見せていたのでは子どもたちが働くことにポジティブな印象を持たないのも無理はないなと思いました。教育の未来を考えても、せっかく能力がある人が、待遇に満足ができないから目指さないという状況が続けば教育の質も悪くなっていってしまいます。
今一度、働く大人のモデルとして、子どもたちが良いなと思える姿を見せていく必要性を思い出しました。