丹後先生の生き様公開と仲間づくりのためのブログ

自分・家族・生徒の幸せな生涯のために教育で社会をより良くしたい教師の、生き様公開と仲間づくりのためのブログです。『学び合い』、部活動の地域移行、学校の働き方改革、仕事と育児の両立、お金の教育、人生100年時代のキャリアプランをテーマに毎日発信しています。『学び合い』は知らない人でも、自由進度学習、個別最適化、アクティブラーニングといったワードに関心がある人と仲間になりたいです。

要約:「座りなさい!」を言わない授業

https://www.amazon.co.jp/「座りなさい!」を言わない授業-落ち着きのない子-大歓迎!-西川純-ebook/dp/B07L48GLNR

 

この本のテーマは授業における「立ち歩き」です。

キーワードは「子どもたちは有能」「目標」「評価」「環境の設定(外部との調整と可視化)」などがあると思うので、そこに注目したり、念頭に置きながら読み進めると内容が理解しやすいと思います。

 


今回は以下の順で大きく4つに分けて要約していこうと思います。

(はじめに〜3章)

・立ち歩きの可能性

・現状の立ち歩きへの認識

(4章)

・教師の役割

(5章〜9章)

・立ち歩きを育成する授業

・実践1(立ち歩き研究)

・実践2(班の話し合いとクラス全体の話し合い)

(10章〜11章)

・個性の育成

・大事なことはシンプルで単純

 

 

 

「立ち歩きの可能性」

 本書では教師にとって悩みの種である「授業中の立ち歩き」の素晴らし可能性について書かれています。この本を通して、目の前の子どもを病的と判断する前に、ちょっと考えてみるようになれます。さらに、「座りなさい!」と叱る前に、ちょっと考えてみるようになれます。そして、「立ち歩き」に悩むのではなく、「立ち歩き」を喜ぶようにさえなれるかもしれません。

 

 

 

「現状の立ち歩きへの認識」

 現状多くの人にとって「授業中の立ち歩き」と聞くといいイメージを持つ人は少ないかもしれません。子供の通知表わたしなんかで「お子さんは授業中よく立ち歩きをしていて…」と切り出されたらあまりその後褒められるイメージが湧きませんよね。

 教師にとったアンケートにおいても個人作業をしている時、個別にプリントの問題を解いている時、グループ学習の時で子供が立ち歩きをしていたらどのような対応をするか調べたところ、個人の活動の2つに関しては90%以上の教師 が立ち歩きを否定的に捉えており、グループ活動の時ですら半数の教師は肯定的に捉えていたが、逆に言えば半数の人は否定的に捉えていました。

 これはいくつかの教師の囚われからくるものだと思われます。子供たちが学び合うためには教師が教えなければならない。立ち歩きを許したら授業が成り立たなくなる。ふざけたり私語をしてしまう。

 これらのことに教師が囚われていることは、本屋さんに行けば「学び合いの指導法」の本や「私語や立ち歩きを如何にさせないか」を取り扱った本が多いことからも伺えます。

 ここからは特別な指導がないにも関わらず、「真面目」に立ち歩き学び合うためには、どうすれば良いかを紹介していきます。結論としては「教師の仕事とは何か」ということを考え直さなければなりません。

 

 

 

「教師の役割」

真面目な立ち歩きを子どもたちが行えるようにするためには、教師の役割をしっかりと考える必要があります。本の著者の考える教師の役割とは

・子どもは有能だと信じること

・学ぶに値する目標を設定すること

・学ぶための環境を設定すること(外部との調整と可視化)

・適切に評価をすること

です。

以下の章では教師が上記の役割をしっかりを果たしたときに子どもたちが真面目な立ち歩きを行い、学び合う様子が紹介されます。

 

 

 

「立ち歩きを育成する授業」

目標の設定の例

 学習課題を達成することに加えて以下の3つの指示を加えた。

・自分たちで最も能率的だと考える方法で学習を進めること

・その方法が最も能率的と考える理由を説明出来るようにしておくこと

・分からないことは、教師に聞くのではなく友だちと協力して解決することが大切であり、それで出来る範囲のことをすれば良く、それでどれだけ学習を発展させることが出来るか楽しみにしていること

 


環境の設定の例

 ・コンピューター室や図書室を使用できるように依頼

 ・他の学習者の活動や状況が見やすくなるようにそれぞれのコンピューター画面をスクリーンに投影

 


評価の例

 ・教師に質問に来たときに他の子供たちと繋げる声かけ

 ・子どもたちの持っている有益な情報をクラス全体に聞こえるボリュームで褒める

 


これらのように教師の仕事は何かを見直し、子どもは有能であることを信じて任せることで、真面目な立ち歩きが成立します。また班での話し合いやクラス全体での話し合いを目的にあわせて使い分けることもできます。

 

 

 

「個性の育成」

立ち歩きを許し、学び合うことを促せば子供の個性や独自性が発揮されなくなるのではないかと心配される先生がいます。しかし、子どもの独自性は、子ども同士の情報交換を遮断することによって保証することは出来ません。子ども自身が独自性を出したいと願うようにすればいいのです。そして、それを目標として伝え、環境を整え、適切に評価をすれば子どもたちは個性・独自性を発揮します。

学び合っているときの一場面ですが、分かりかけると表情がウーンとなり、「ちょと、ちょっと、もう言わないで」と教えてくれることを止めるそう姿が見られるそうです。確かにこう言う場面ってあります。子どもは自分で出来るところは、自分でやりたがるものなのです。

私たちが最も大事にするべき考えは、子どもを信じることなのです。

 

 

 

「大事なことはシンプルで単純」

オッカムの剃刀」という言葉をご存じでしょうか?「必然性がなければ、最も簡単な仮説ほど真実だと判断すべきだ」という基準です。別ないい方で言えば、「 単純な説明は、複雑で込み入った説明よりは正しい」ということです。

 教育においてもいろいろなテクニックや指導法が取り上げることがありますが、上記で紹介した教師の役割をきちんと果たせば細かい指示などがなくても子どもたちは学び合い成長します。

 著者は教室における観察から得られた結論を、吟味するとき、「自分に置き換えて正しいか」と「サルに置き換えて正しいか」という2つの基準で判断するそうです。

子供を有能と信じ、一人の人間として尊重しているため「子供だから」と考えず、「自分ならどうか」と自分と同じように考えます。また学び合う能力は生得的なものだと考えているため、生物として基本となる部分が近いサルの社会で当てはめて考えることで生物学的にも違和感のない真理に辿り着ことができるみたいです。

 そのような基準で調査から得られた結果を吟味して行った結果、非常にシンプルで単純な結論に至ります。

それは『目標を与え、信じ、学びやすい環境を整えれば、教師があれこれ悩まなくても、子ども達自らが解決するはずである。何故なら、教師にとっては「他人事」であったとしても、本人にとっては「自分のこと」なのであるから。』と言うものです。

 私たちが自分の実践を振り返るときにもシンプルで単純なことがちゃんとできているかをしっかりと見直していきたいものです。