〈一周忌〉
嫁様の祖父の一周忌の法要に参加してきました。
朝から嫁様の祖母や母上から段取りを聞いた嫁様の指示を仰ぎながら準備をお手伝いし、法要を終え、身内の人たちでお昼ご飯をいただきました。
いつも遊んでいる子どもたちや嫁様の妹夫婦たちもいて楽しく過ごすことができました。
嫁様はいつもの帰省よりは忙しそうでしたが、一番忙しい母上のサポートができ、大好きだった祖父の法要もできて良かったと思います。
息子も色々な人にまた可愛がってもらえました。
良い1日でした。
〈教師の長時間労働問題。これを武器にできる人から動いていくしかない。〉
朝、新聞記事を見て怒りと落胆を覚えました。
埼玉県の教師が残業代が支払われないことを違法だとして起こした裁判で、時間外労働は認めつつも残業代の請求権は認められなかったというものです。
教師の労働時間として認められなかったものとして
・教材研究
・保護者対応
・生徒からの相談
・掲示物や作文のペン入れ
・提出物の確認
・小テストの採点
・学校行事の準備
などが挙がっています。
どれも教師の仕事の中で核となるもの、大きな時間を占めるもの、管理職からやるよう求められるものばかりです。
これらが労働時間としてみなされず、勤務時間外に及んでしまったとしても「本人が自主的にやっていただけ」とされるなんてあまりに酷すぎます。教師の仕事や専門性をバカにしています。
それでも「子どもたちのために」と無理をしてしまう教師たちの善意を悪意を持って利用しているのではとさえ感じてしまいます。
ちなみに認められているものに授業時間(一コマ5分)もあります。これも衝撃です。すでに完済しているプリントを印刷するくらいしかできません。舐めてます。
こんな労働環境では熱意や誠意のある若者が教育現場に来ることを諦めてしまう十分な理由になってしまいますし、今の教師たちにとっても持続可能ではありません。だからこその先日聞いた教師を続けることに対する明るくない意見も飛び交うのでしょう。このままではいけないと思います。
そんな風に遺憾な心境なわけですが、裁判でこのような判例が出た以上、労働時間として認められていない仕事を勤務時間外にやり続けていても、ただやる気も健康も搾取されるだけになってしまうということです。なんとも悲しい状況です。
この判例を逆手に取って自分の武器とし、
「労働時間として認められないですし、自主的に残業するつもりはないので帰ります。私にとっては管理職のご機嫌より家族のご機嫌が大事です。ここで無理をして残業することが教育のためになるとも子供達のためになるとも思えません。」
と断れる人が動いていくしかありません。
そんな気骨のある人がどれくらいいるかという課題はありますが。
私はできるだけそういう人でありたいと思っています。
小さく行動を続けて、少しでもこうして広げて、大きな変化の時を早めながら強かに待ちます。
#教師の働き方改革
#教師の時間外労働
#埼玉県教師の裁判