〈学校生活に余白を〉
昨日2年生の弁論大会がありました。
代表になった生徒の分しか聞いてませんが、非常に素敵な考えを持っている人たちだと思いました。
聞きながら、これだけの問題意識を持てるのだから、興味のあることを没頭して調べ行動できる余白が学校にあればもっと面白そうなのになと思ってました。
男女差別の話題もあったので、育休や家事負担に関心のある私は非常に興味深く聞いてました。
〈部活動顧問を断る上でのリスク〉
先日、私が復帰したら副顧問になると校長から知らされていた部活の主顧問の先生から活動の監督のお願いをされました。
勤務時間外の活動だったので丁重にお断りしました。私が顧問を引き受ける意思がないことを校長に伝えていると話したらきょとんとされてました。
これは部活動顧問を断ることのリスクです。仕事の他の部分で頑張らでば。
しかし、「やり方がちょっとずるいな」とも感じます。私は昨年も勤務時間外の顧問としての活動は校長に断っていますし、特に勤務時間外での活動は引き受けなさそうな事は簡単に予想がつくはずです。
それなのに私の居ない間に主顧問の先生に「丹後が副顧問になるであろう」ことを前提に主顧問をお願いする事は、お願いされても承諾してもいない私に対しても、果たせる見込みが薄い約束でお願いをされた主顧問の先生に対しても誠意に欠けます。
その事による「話が違うじゃないですか!」みたいな空気の説明責任は私にあるのでしょうか?
また、改めて自覚したのが、この問題は私にとって「能力の輪」の話ではなく「尊厳の輪」の話なのだろうという事です。この考え方は「シンククリアリー」という本で出てきました。
「能力の輪は」できるかできないかで、「尊厳の輪」は自分の尊厳・信念のためにやりたいかやりたくないかです。
今回の話も私にとってできるかできないかでいったらできるものでした。しかし、部活動の顧問が全教員に強制される事の問題点などを考えると、私の信念としてやりたくない事でした。
「シンククリアリー」では「能力の輪」に収まることでも「尊厳の輪」に収まらない事は引き受けない方がいいと出てきます。今回はそうしたわけですが、良かったと思っています。ここを曖昧にし続けると、心が腐ってしまいそうです。