今日は嫁様のお父さんに手伝ってもらって、以前私たち夫婦で使用していたリサイクル家電の処分をしてきました。初めて行ったので、テレビや冷蔵庫なんかが普通には捨てられないことを初めて知りました。
生きていく中で幾つになっても初めて知ることがあるのは面白いなと思うとともに、
服のリサイクルやミニマリストといった普段心がけていることと共に、家電のリサイクルも環境への負荷を下げることの助けになっていて大切なんだろうなと思いながら運んでいると、少しいい気分になりました。
リサイクルの後は嫁様と読書をしていたので、刺さった部分をアウトプットしてみます。
・嫁様が読んでいる「そしてバトンは渡された」より
「自分だけではなく誰かの分も用意したいと思った時、大切な人がいることを実感する」
という内容の文章がありました。
例えば、美味しいものを食べに行った時、お土産に何か買って帰りたいと思える。そういうふうに思える人がいる。
これがすごく幸せなことなんだということを確認させてくれました。
・私が読み返している「幸せになる勇気」より
”教育者は、孤独な存在です。誰からもほめてもらえず、労をねぎらわれることもなく、みな自力で巣立っていく。感謝すらされることのないままに。”という部分について。
子供たちの自立を目的としている私たち教師にとって「先生のおかげで〇〇できました」と言われるのは良くないことを再確認しました。しかし、これは確かに孤独で、だからこそ自分の主観で子供達に貢献できていると思えることをやり続けるしかないんだと思います。
”たとえば子どもから「友達のところに遊びに行ってもいい?」と聞かれる。このとき「もちろんいいよ」と許可を与えたり、「宿題をやってからね」と条件をつける親がいます。あるいは、遊びに行くこと自体を禁止する親もいるでしょう。これはいずれも、子どもを「依存」と「無責任」の地位に置く行為です。そうではなく、「それは自分で決めていいんだよ」と教えること。自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料——たとえば知識や経験——があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。”という部分について。
普段の学校生活の中で「トイレに行っていいいですか?」とか「〇〇していいですか?」と聞かれることはよくあります。そんなこと許可取らなくていいのにと思うことが多々ありますし、「もちろん、ご自由にどうぞ。」と答えることがほとんどですが、これからは「それは自分で決めていいんだよ」と伝えてみたいです。
幸せになる勇気や嫌われる勇気で出てくるアドラー心理学では叱ることはもちろんほめることも否定しています。その内実をしっかり理解して、普段の行動に落とし込んでいきたいと思っています。これがかなり難しい。でも、やりがいはあります。
教育関係者はもちろん、子供と接する全ての親は教育をすることになるので、全ての保護者の皆さんにも読んでみてほしい一冊です。勉強になります。