先日地方新聞でも記事になっていたようですが、私は内部にいる嫁様から事前に聞いて、ここ最近の中で1番怒りや悲しみを感じたことがあります。
それは部活動の社会体育化や、教師の働き方改革とは逆行するようなもので、無理を強いられる方々を思うと辛くなるものです。
石川県の中学生向けに、ソフトボールのクラブチームが作られるそうです。
名目としては、
・部活動の時間があまり確保できないから外部で練習できる場を作ろう
・専門的な知識を持った方の指導を受けられるようにしよう
・人数が集まっていない学校の生徒も充実した練習ができるようにしよう
といったところでしょうか。
しかし、大きな問題がありまして、
それは「そのクラブチームの管理・運営者や指導者が結局中学校の教師がほとんど」ということです。
何でそんなことになるのでしょう。
しかもタチが悪いのは、
そこに連ねられた方々は「進んで今よりもさらに時間を割いて指導したい」ではなく、「県の中体連のソフトボール協会の上の方々が勝手に決定事項として名前を書いていた」というものらしいです。
そんなのもう卑怯です。厳しいことを言えば人権侵害です。そこまでして作らねばならないものなんでしょうか。
これでは部活動の社会体育化や、働き方改革に真っ向から逆行し、現場の先生方にさらなる負荷を強いることになります。
・現場の先生方は既に持っている自分の学校の部活動の指導にプラスして、休日に月1から週1程度、そのクラブチームの指導もしなければならなくなります。ただただお体が心配になります。これでは休む暇もなく潰れてしまいます。
・名前がクラブチームになっただけで、実態は学校の先生が運営も指導もしているので、全く社会体育へ移行していないことになります。むしろ箱だけは部活動ではないために、一部のやりたいお偉い方によって、以前のような長時間過ぎる練習になってしまう危険性があります。
嫁様の話だと、そのクラブチームの指導者に勝手に選ばれていた若手の先生はこんな風にぼやいていたそうです。
「早く結婚でもしてソフトボールから抜けたい。」
うちの嫁様はその指導者には選ばれませんでした。嫁様曰く、「結婚しているかどうかはでかい」そうです。でも結婚していない人だって、それこそこれから相手を探すための時間が必要ですし、そうでなくても人間なんだから休息は必要です。結婚しているかどうかなんて関係ありません。
また、嫁様の知り合いの年配の先生でもこんなことをおっしゃってた方がいたそうです。
「今の部活にプラスしてクラブチームの指導まで若いもんにさせたら可哀想や。作った年配の人らは指導に出るわけじゃないし、これから居なくなってくからいいんやろうけど、これからの若いものはそうはいかん。」
確かにです。作るのも大変かもしれませんが、作ったものを壊すことも大変なことは私も実感しているところです。作った方々は早々に引退してしまったり、仕事を辞めてたくさん時間のある中で参加していくのかもしれませんが、若いものは今の仕事にプラスしてやることになりますし、一度できたチームを無くすのは容易ではありません。
完全に私の影響外のお話なので、腹を立てても悲しんでも仕方がないのですが、
そんな事例を他の人に知ってもらうことはできるかと思って書きました。
ただただ、携わることになる方々の健康を願うばかりです。
そして、子どもたちにとっても、これが本当に「希望性の参加」であり、これ以上過剰に無理を強いないものであることを願います。
社会体育化はもっとシンプルです。学校が部活動を手放せばいいだけです。それ以上のことをする必要はありませんし、してしまっては意味がありません。
当然、それによりなくなってしまうのものあるでしょう。しかし、もともと子どもたちにも教師にも無理をさせていた活動量の団体です。
活動量を小さくした団体が発生することは可能でしょうし、それすら起こらなければ、それはその地域でその程度のもので必要とされていなかったということです。
なぜそこまでして、学校関係者が手放したがらないのか。それによって人権侵害に値するようなことを強いるのか。疑問でなりません。
ここ最近で1番、考えるたびに怒りと悲しみが湧き出てきます。