もくじ
①おすすめの人
・グループ学習や班学習がうまくいかないので改善したい。
・認知心理学の視点や実証的な研究を根拠にして授業を改善したい。
・前著の「なぜ、理科は難しいと言われるのか」を受けて、「ではどうすればよいか」のヒントを得たい。
・『学び合い』や『学び合い』の形成過程、学術的根拠に興味がある。
②結論
(1)前著「なぜ、理科は難しいとと言われるのか」で分かったように、教師が考える学習者と実際の学習者にはギャップがあり教師が教えられないならば、子どもたちが学び合えばいい。
(2)学び合う能力は生まれつき持っているため、学び合うためには何かの指導をするよりも学び合うことを阻害しているものを取り除くべき。
③概要
本書は1〜15章まであります。
大枠としては
1章 何のために学ぶのか
2~7章 社会生活で起こっている学び合いと学校での学び合いの実態
8~12章 望ましい学び合いが起こるための現状の学校システムで可能な指導法
13~14章 現状の学校システムでは難しいが望ましい形
15章 補遺として簡単にできる具体的な指導例などの付け加え
という感じです。
以下に詳しく解説していきます。
1章 学び合う教室文化の意味(なんのために学ぶのか)
子どもたちは何のために学校で学ぶのでしょうか?その一つに「勉強して頭が良くなるため」という答えが考えられそうです。
では、「頭の良さ」とは何なのか。
頭の良さについて調べた研究では、社会における「頭の良さ」とは「対人関係スキルが高いこと」だそうです。
「頭が良い人とは?」と聞くといわゆる勉強のできる人という特徴が挙げられるようですが、「実際に身近にいる頭の良い人を挙げてもらってから、その人にはどんな特徴が当てはまるか」という順で調査すると対人関係スキルの高さが挙がってきます。驚くべきことはこの調査を日本、韓国、中国、台湾、カナダ、メキシコで行ったところ同様の結果が得られたというところです。
このように、学校教育で言われる頭の良さと実際に社会で必要とされる頭の良さにはギャップがあります。そして、多くの教室では社会で頭が良いと思われるような人を育てられていません。
「100のことを知っているが、人に10しか説明できない人と、知っているのは20だけだが、人に20だけ説明できる人がいたとする。どちらの人が社会において認められるであろうか?我々の仕事は、全て他者との関わりをもっている。他者と共有できない知識は、社会において無意味ではないだろうか」と本文にあります。
他社と協力ができ、知識を共有できてこそ、学んだことには意味があるということですね。
2章 社会生活の中での学び合い
一般社会では知識を持っている人は3階層にわかれている。ブレイン(専門家)、エンドユーザー(素人)、ゲートキーパー(中間)です。
これについて詳しくは「なぜ、理科」の方で紹介されていましたが、エンドユーザーは直接ブレインから学ぶのではなく、ゲートキーパーから学ぶのか一般的です。そしてこの学び合い方は誰かの指導のもとに起こるものではなく、自然に成立するものです。
エンドユーザーがブレインから学ぶのか効率的ではない理由は①ブレインは専門用語を使ったりエンドユーザーがわならない部分が自動化されてしまっているためにうまく説明できない、②ブレインの数がエンドユーザーに比べて少ないためにブレインの時間的資源に限界がある、の2つです。
この社会で一般的な学び合い方が教室で起こらないのはなぜか。それは、絶対的な教師が支配する教室という異常な文化のためであり、我々教師がエンドユーザーやゲートキーパーが自由にそここで学び合っている状態の授業を想像したら学級崩壊のような見た目であり、受け入れられないからだと考えられます。
3章 子どもたちは説明しているか?
グループによる学び合い時の子どもたちの対話分析をすると「強制ケース」、「友人合意ケース」、「無関心ケース」の3つに分類できます。強制ケースとは、ある児童が他の児童の意見を強制的に排除ないし無視するケースを指すします。友人合意ケースとは、お互いに意見の対立を避け、安易に合意するケースです。無関心ケースとは、互いの話に関心がなく、交流を求めないケースです。
どのような班が、この3つにのタイプになるかは、その班の中に学力上位者、リーダがいる場合(以下、主従関係がある)か否かが影響します。また、グループ内に友人関係があるか否かが影響します。
教師はグループの中で、お互いの経験を出し合い、論理的に結論に導くことを期待しています。しかし、調査した中では、そのようなグループは一つもなかったこと言うことです。
4章 子どもたちは実験をしているか?
班で実験をさせると活動の際の役割分担において2つのパターンに分かれます。「役割の分化」か「平等な役割分担」です。
「平等な役割分担」では生徒たちによる学び合いでは認知的熟達度や進度に合わせたアドバイスが行われていました。
どちらのパターンになるかはリーダー役の子が実行する役割につくか、全体を見て支持をしたり進捗状況を確認したりするモニター役につくかで変わります。平等な役割分担になるのは後者です。
モニター役というものの存在と重要性を教師は見逃してしまいがちです。
5章 なぜ班活動で手抜きをするのか?
我々教師は子どもたちが実験に真面目に取り組んでいるかそうでないかを、内容が好きかどうか興味があるかどうかで決めているだろうと考えることが多いです。
しかし、4割以上の生徒が好き嫌いではなく人間関係で行動を決めているというのです。
働きアリの仕組みと似ています。
理科が好きなもの同士にしたり、男女別別にしたりしたとしても、やる人とやらない人が出てきます。
興味関心というものを社会的に見る必要性が示唆されています。
見た目では子どもが学習内容を好きなのか否か、興味があるのかないのかを判断できないし、参加していない生徒がいるのを改善するのに教材を面白くするのでは足りないということです。
6章 学び合うクラス文化を阻害しているものは何か?
あるクラスを3ヶ月に渡って、各々にボイスレコーダーを持たせて会話を記録した調査では、教師が「一人一人が自ら考えることを求め、必要であれば協力してもいいよ」という理念でも学び合いが生まれました。
阻害するものがなければ生徒が学び合うことを最も良い方法として選ぶということです。
社会生活の三階層が自然に生まれることからもそれは自然なことだと考えられます。
つまり、学び合いを阻害しているものは「静かにしなさい」「座りなさい」という、コントロールをしたがる教師の理念であると考えられます。
7章学習者主導の学び合いの意味
前章までに学習者の学び合いは授業者の意図的な指導・授業方略によって初めて成立できるものではないということがわかりました。
学習者主導の学び合いには教師が1番説明が上手いという過程の上での指導方略というところにも認知心理学的には問題があります。
学び合いが自然発生的に起こる、学び合う能力は生得的に持っているという考え方は、ホモサピエンスという生き物は群れで生きてきた生き物であることからも、生物学的にも自然なことと考えられます。
それでは教師の役目はどこにあるのでしょうか?それは「目標の設定」と「評価」です。学び合いが生得的な能力とはいえ、教師が何もしなくてもいいというわけではありません。
①学び合いを阻害する文化の打破
②単なる点数ではない目標の設定
③適切な評価
が必要になってきます。
第6章で述べられたように、教師が何らかの意図を持たなくても、学習者の自主性を大事にすることによって学び合いは自然と生起します。次からの章では、学び合いの指導法をが紹介されています。従前の指導法とは異なり、できるだけ教師が一歩引いて、学習者自身のもつ学び合いの能力を引き出すようにしたものです。
8章 認知スタイルを考慮したグループ化
「なぜ、理科」にも出てきた認知スタイルを考慮したグループを作る方法です。
EFTテストという簡単なペーパーテストを行って認知スタイルを区別し、異なる認知スタイル同士の組み合わせのグループを作ることで互いの能力を補い高め合う活動ができます。
一度EFTテストをすれば良いだけなのであれば実践のしやすさは★といったところでしょうか。割とかんたんにできそうです。
9章 誤解を考慮したグループ化
生徒がどのような誤解をしているかわかるテストを事前に行い、同じ誤解をもった人でグループを作り、いかにその誤解が正しいかを証明する集団的挙証活動をした後で通常の指導を行います。
典型的な誤解が生じるような単元・授業でしかできなかったり、単元・授業ごとに誤解がわかるテストをしなければならないと思ったら実践のしやすさレベルは★★★くらいかなと思ってしまいます。なかなか大変そうです。
ただ、毎回よくあるような予想などを聞いて、同じ予想だった人たちでグループを組んで挙証活動をするということを挟む程度であればもう少し簡単に取り入れられそうかとも思います。実践しやすさレベル★★くらいでしょうか。
10章 ジグソー学習法による学び
課題解決のための情報を分割して、それを班員のメンバーがそれぞれ散って考えたり獲得してきた後、元の班で情報を合わせて課題解決を行うというような方法です。
この本を読む以前から知ってましたが意外と昔からある指導法なんだと驚きました。
メリットとしては、学び合いのときに経験や知識を交換し合う教師が望むような話し合いが生まれることや、予想・計画・考察の全てでコミュニケーションを活発にすることが挙げられます。
デメリットとしては、すべての学習者に一律の役割が当たることで負担になる子や簡単すぎる子がいることです。
また、ジグソー法が行えそう内容がある程度限られていたり、準備の負担が大きめだったりという側面もあるので、実践のしやすさレベル★★という印象です。
11章 コミュニケーション指導法
他の『学び合い』の本で自己モニターという名前で紹介されているものです。
はじめに3段階の話し合いの指導をしたあとに、2つの指導を継続的に行っていくというシンプルなものです。
はじめの3段階の指導は「話し合いの悪い例のビデオを3分見て、15分指摘し合う。」「5分間の話し合いのあと、自分たちの話し合いの音声記録を視聴する。」「どんな話し合いなら相手に理解してもらえるかを代表生徒によるロールプレイを見ながら指導する」というものです。どれも15分ほどで終わる内容で、その指導をしたあとは通常授業に入るということを日を分けて行っています。
継続的に行う2つの指導は「毎回5分程度の話し合いの時間を設ける」「本人がわかることのみならず、他者にわかることが大事ということを教師が本気で念頭に置く」というものです。話し合いが成立するためにはお互いの真意がきちんと伝わらなければ意味がないということを子どもたちが認識する必要があります。
これにより、強制ケース・無関心ケース・安易な合意ケースのそれぞれで司会役が現れるなどの変容があったそうです。
「これこれの話し合いをしなさい」という指導ではなく「普段やっている話し合いを授業でもしていいよ」としただけです。
初めに3回の指導を入れる意外はほぼ通常通りの授業なので、継続的なやりやすさとしても取り組みやすそうなので★というところでしょうか。
12章 カウンセリング的指導法
授業の中での指導というよりはエンカウンターで取り組むようなものです。
①他己紹介
③ポジティブフィードバック
生徒が上手にアドバイスを送ることや上手にアドバイスを受け入れることは価値のあることだと受け止められるようになります。
「ローカルな学び」と本の中で読んでいる、分からないことがあったら近くの人達にさっと聞くというようなことが起こりやすくなる効果もあったようです。
これも、学活の時間でできそうなので実践のしやすさレベルは★ですね。
13章 現状の学びの問題点
8~12章では現状の学校システムの中でできる方法の紹介でしたが、この章では現状の学校システムでは難しいが学びの形としては望ましい形である「正統的周辺参加」という考え方が紹介されています。
日本の徒弟制度に似たもので、目的を一つとした熟達者・半熟達者・初心者が混ざった集団で学ぶ方法です。三階層モデルにもなっているし、自分が成長するとどんな風担っていくのかや、その集団での価値基準や文化のようなものも自然と学べます。
この正統的周辺参加と学校のシステムが異なっている点(現状のシステムの問題点)は3つあります。
①教室の集団は目標が一つではないこと
②教室の集団が年齢・能力的にほぼ一様であること
③先輩の姿が見えない・学べないこと
14章 新たなクラス・授業の提案
13章の現状の問題点を受けて今後の提案や研究の方向性(当時の)が書かれています。
それは「クラブや部活動の形を教科学習に持ち込めないか」ということです。クラブや部活動では目標が一つであり、年齢・能力に多様性があり、結果先輩から学ぶことができます。
またこれからの研究の方向性としては、
①学び合いは多くの人には有効である一方苦手な学習者もいるので、学び合いをしないことを認める文化もどう作るか
②重度の障害がある生徒がクラスにいたとき、全体でどう学び合うか
が挙げられています。
これらは簡単なことではありませんが、著者は「学者者こそ有能な教師」「どのような指導をすればよいかではなく、阻害しているものは何か」からスタートすることで道が開けるのではないかと主張しています。
15章 補遺
筆者が行ってきた簡単で具体的な学び合いの指導や、正統的周辺参加になるようなゼミ運営の仕方、間接的な正統的周辺参加の方法が付け加えられています。
・簡単にできる具体例「隣の人と相談して」
・ゼミ運営の仕方
クラスに置き換えれば参考にできる部分もある。年齢を混ぜる、なるべく教えない、自律的な集団にすることを意識されています。
・間接的な正統的周辺参加
①卒業時に後輩へ自分がどんな教師かを紹介する手紙を書かせる。
②科学研究などの宿題で、事前に過去の生徒の優れた作品とかかった時間の目安を見せる。
④URL
ご興味のある方は是非読んでみてください。
授業での学び合いについて考えていくうえで他の本とは違う視点からの大きなヒントが得られると思います。