丹後先生の生き様公開と仲間づくりのためのブログ

自分・家族・生徒の幸せな生涯のために教育で社会をより良くしたい教師の、生き様公開と仲間づくりのためのブログです。『学び合い』、部活動の地域移行、学校の働き方改革、仕事と育児の両立、お金の教育、人生100年時代のキャリアプランをテーマに毎日発信しています。『学び合い』は知らない人でも、自由進度学習、個別最適化、アクティブラーニングといったワードに関心がある人と仲間になりたいです。

要約:なぜ、理科は難しいと言われるのか?: 教師が教えていると思っているものと学習者が本当に学んでいるものの認知的研究

もくじ

①おすすめの人

②結論

③概要

④URL

 

 

①おすすめの人

本書をおすすめの人は以下のような人です。

 

⑴理科の教師をしている方(特にタイトルの通りなぜ理科は難しいと言われているかに興味がある人)

 

⑵理科以外の教師でも、認知心理学の視点から、教師から見た学習者と実際の学習者とのギャップに興味がある方

 

⑶『学び合い』の成立過程、学術的根拠を知りたい方

 

 

②結論

本書のテーマは「教師が思っているように学習者は思っていない。そしてそれは彼らが愚かだからではない。」とされています。

 

子どもたちが学ぶ場面において、教える側の私たち教師が考える学習者と実際の学習者との間には様々なギャップ(教師の思い込み)があることと、その仕組みが紹介されています。

 

良い授業をしようと考えるときに生徒理解は必須だと思うので、そういう点で理科はもちろんのことそれ以外の全ての教師に役立つ視点です。また『学び合い』を実践している方であれば、『学び合い』の成立過程を追っていく形になるので、より理解が深まり自分の実践に役立てられるかもしれません。

 

 

③概要

本書は1〜12章で構成されています。それぞれ私なりに要約して内容を紹介します。

 

(1章)数字の捉え方と理科が好きか嫌いかの教師の思い込み

理科が難しいと言われる一つの原因に単位がつくことが挙げられています。単位が付き、数字に意味が付くことによって子どもたちは数字を数学の数字として捉えられなくなり、計算しにくくなるそうです。

一般的に計算が得意な子が理科的な考え方ができていると思いがちですが、そうではないということが見えてきます。計算が得意な子は理科の数字も数学の数字として捉えますが、理科嫌いになる計算ができない子は数字を生々しく意味を持って捉えます。それ故に計算ができなくなるわけですが、意味を持った数字として捉えられることは理科的といえます。

計算はできるけど数字を意味のあるものとして捉えられる子と、計算はできないけど数字を意味のあるものとして捉えられる子、どちらが理科的な考え方ができていると言えるのでしょうか?

 

(2章)生徒の自己理解に関する教師の思い込み

授業の準備の際や、指導案を書くときにも事前に教師が生徒の実態調査をすることがありますが、この実態調査の精度に疑問が浮かんでくる内容です。

学習者である子どもたちは自身の知識や行動の動機の実態を正確に把握していないそうです。

例えば、何かの知識に関して知っていると思い込んでいて、本当はそれほど知っているわけではないのに知っていると答えることがあります。

行動に関しても生徒自身動機があって行動すると思い込んでいますが、何となく周りに合わせてそうしているということがあります。

そうなってくると、“自身が正確に把握していないのに、教師が実態調査をしても正確な実態を知るのは困難”となってしまいます。

 

(3章)生徒が同じものを見ているという教師の思い込み

人が何かを見聞きするとき、一定の個人特性を持つという認知スタイルというものがあります。

認知スタイルの一例として場依存型と場独立型というのがあります。「地層を自由に観察しなさい」と言われたとき、場独立型は近づいて地層を構成するものを観察し、場依存型は地層に距離を置いて地層の模様を観察するそうです。

ここで問題になってくるのは教師と生徒で認知スタイルにズレがあることです。ズレがあると、教師が生徒に観察してほしいと意図したことと、生徒が観察するものが異なることになります。もう一つの問題は、自分の認知スタイルの傾向に疑問を持つことはほとんどないため、限られた範囲の観察にとどまってしまう危険があることです。これを防ぐためには自分とは異なる認知スタイルを持つ学習者と協働して学ぶことが有効です。

 

(4章)より多く、や多様な例を出せば一般化してくれるという教師の思い込み

生物の学習をするとき、代表的な生物を学んで他の生き物にも適用させます。しかし、生物に多様性と一様性の二面性があります。多様性に着目するならば、メダカの学習はメダカのみの学習にとどまり、ヒトやイヌの生殖の学習にはなりません。(過小般化)一方、一様性に課題に着目すると、ヒトで内骨格を学習したために、昆虫類にも内骨格があると誤って般化する可能性があります。(過大般化)

 

子どもたちは過小般化する傾向にあるそうです。メダカを通して生物の生殖について教師が教えようと思っても、メダカだけの学習になってしまい他の生き物には適用できないということが起こります。これを改善するためにはより典型的な例や多様な例を出せばいいと思われがちですが、それは有効ではなく、正しい般化のためにはカテゴリーを形成させる必要があります。

例えば、メダカもイヌもネコも同じ動物カテゴリーの仲間だと理解しているか否かで、代表例としてメダカを挙げたときに適切に般化できるかが決まってくるということです。

 

(5章)概念獲得の際に誤解を持っていると邪魔になるという教師の思い込み

理科では代表的な誤解というのがあります。例としては、振り子の周期はおもりの重さに依存しないのようなものです。従来の理科教育では、これらの誤解は科学的知識がないためと考えられていました。従って、正しい知識を与えれば解決できると考えられていました。しかし、正しい科学知識を授業や実験で教えても、先の誤解は直らなかったり、授業後に概念獲得した学習者も、授業後しばらくすると元の誤解に戻ってしまったりします。

実際に調査をすると、誤解が強固であれば強固であるほど、概念獲得率は高く、また定着率も高いという結果になりました。強固な誤解が概念獲得を阻害しているのではなく、強固な誤解がないことが概念獲得を阻害しているということです。そこで本書では、従来とは逆に、強固な誤解を育成する指導法という一見異常な指導法が有効であることが紹介されています。

 

(6章)観察の際、メモよりスケッチの方が定着しやすいという教師の思い込み

私たち教師が生物の観察をさせるときには必ず記録を取らせます。そこで、メモとスケッチどちらが定着しやすいのかという疑問に対して、スケッチの方が定着しやすいというイメージが持たれています。

しかし、本書ではメモの方がスケッチより記憶定着に有効であることが明らかにされています。スケッチは記録しているものの、意識して記録していないため、再生できない一方で、メモの場合は、自動的に言語化しているため再生率が高いと考えられます。さらに、メモ単独で記録させた方が、メモとスケッチを併用させた方より、記憶定着がよかったそうです。

 

(7章)実物を見せた方が良いという教師の思い込み

理科では何かを見せるときに写真で見せるよりも実物を見せる方が良いという考え方をする方が多いと思います。しかし、見たいものが初見ではなくイメージを持っている場合、写真の方が観察しやすいというように基本的なイメージを持っているか否か、何を見せたいかによって適切な教材は異なるらしいです。ということは生徒によって適切な教材は異なるということ。

また、基本的イメージや名称をよく知っている教師とそれらを持たない学習者では同じように見えているわけではないというのは大事な視点です。

 

(8章)ありのままの現象を見せれば規則や法則が見つけられるという教師の思い込み

理科では「観察や実験で実物や現象を見せれば生徒はわかる。逆に結論や法則を伝えてから実験をするような料理本型の実験は良くない」と言われることがあります。

しかし、観察は理論によって成立するという観察の理論負荷性というのがあるらしく、理論や仮説があるからこそ見たいものが見えてくるようです。逆にそれがわからない学習者は見ていないのではなく、教師の想定とは違うものを見ています。

ただありのままに見せるという方法では教師と同じものを見ているのは理科の得意な子だけということになってしいます。

 

(9章)熟達した教師が説明をすれば理解してもらえるという教師の思い込み

一般に、勉強が苦手な学習者にも分かるような説明をしたいと思ったら、教師が教材研究をして知識が熟達すればするほどいいと考えると思います。しかし、エキスパート・ノービス研究という研究で、これが違うということが説明されています。教師が熟達するほど、その説明には専門用語が増えたり、学習者がつまずくようなポイントを省いてしまう自動化が起こったりします。これにより教師が聞かせたあると思っているものと、学習者が聞いているものにギャップができてしまい、学習者にとっては分かりづらい説明になってしまいます。

 

(10章)教師が教えるの方が効率的という教師の思い込み

知識伝達の三階層という話が出てきます。知識の熟達順にブレイン、ゲートキーパー、エンドユーザーと分けられて、エンドユーザー(多くの生徒)はブレイン(教師)に質問をするのは効果的ではないようです。

理由の一つとしては、8章でも出てきたように教師の説明は専門的で理解が難しいからです。

もう一つの理由としては、ブレインの時間資源の限界によるものです。エンドユーザーの方が圧倒的に多数なので、皆がブレインに質問しようとしたら当然ですが相手をしてもらえない人が生まれてしまいます。

教師は教えるという役割から、ゲートキーパーがエンドユーザーに教える仕組みを作ったり、ゲートキーパーを流動化させたりというマネージャーの役割に変わる必要が出てきます。

 

(11章)理科を学べば将来の役な立つという教師の思い込み

私自身理科を学ぶ理由は何かということを考えてきました。その一つに理科の知識が将来役に立つからというものがあります。しかし、経済界の要望書を見ても学校教育への期待はあまりされておらず、一般の大人も教師自体も理科が大人になってから役に立つとは思っていないことがアンケート調査から明らかにされています。

学ぶ理由は結局は「分かるから」「できるから」「面白いから」ということと、自分が属する集団や社会でそれが重要なことだと思われている(それが文化になっている)かららしいです。

 

(12章)今後の展開について

当時における今後の研究の展開が書かれていますが割愛します。

 

 

④ご興味のある方は是非読んでみてください。理科の授業について考えていく上で他の本とは違う一つの大きな視点になると思います。

 

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